岡本吉起の現在や年収は?借金17億からの大豪邸が気になる

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こんにちはノリスケです。

11月4日(日)日本テレビ系で13:15から放送のニュースな人の家が見てみたいに、借金17億から逆転し超人気ゲームクリエイターの岡本吉起さんの大豪邸が紹介されます。

岡本吉起さんはコナミに就職、その後カプコンに転職し専務取締役にまで上り詰めています。

退職後起業するも借金を17億も抱えてしまいます。

しかしその後の逆転人生って気になりますね。

 

今回は岡本吉起さんの現在や年収など調べてみました。

 

 

目次

岡本吉起さん

 

右側の人が岡本吉起さんですね。
コナミからカプコンに転職し、その後起業したんですね。

まずはプロフィールから

 

プロフィール

  • 岡本吉起(おかもと よしき)
  • 昭和36年(1961年)6月10日生まれ 57歳
  • 愛媛県南宇和郡愛南町(旧一本松町)出身

コナミ入社

愛媛県出身の岡本吉起さん。高校卒業後、大阪にある創造社デザイン専門学校に入学しています。

卒業後の昭和56年(1981年)コナミに入社しています。

元々はイラストレーターとして入社していますが、デザインではなく企画の部署へとまわされています。

タイムパイロットが記録的な人気商品に

出世作となったタイムパイロット

 

上司のつまらない企画を無視し完全に独断で作り上げたんですね。

後戻りできないところで上司に披露し大いに怒りを買ってしまいますが、発売したところ記録的な大人気だったのでした。

ジャイラスも開発していました。

ジャイラスも開発

 

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カプコン入社

コナミで2年在籍していた岡本吉起さん。

昭和58年(1983年)に当時創業間もなかったカプコンに入社しています。

この時…コナミで13万5千円だった給与をカプコンにの社長に直談判し、初任給35万円からのスタートでした。

カプコンでは「ゲームの開発を任せる」

と言われていたんですね。

さて、カプコンではその後、東京開発室→大阪に戻り開発の責任者に。

  • ソンソン
  • エグゼドエグゼス
  • ガンスモーク
  • サイドアーム
  • 麻雀学園
  • ロストワールド

などの開発を担当されていました。

その後は作品の広報担当者としてストリートファイターⅡなどシリーズのヒットに貢献しているんですね。

平成8年(1996年)には専務取締役に。

 

ゲームリパブリック設立

平成15年(2003年)にはゲームリパブリックを設立し社長に就任しています。

主にプレステ2のゲームソフトの開発をしていました。

始まった当初は順調な滑り出しだったんです。

Genjiを開発

発売日には新宿と秋葉原で記念イベントをしたものの…

15人程度しか集まらなかったのだとか。

 

エブリパーティを制作

Xbox360用ソフトのエブリパーティを制作しています。

 

この時の裏話が印象的でした。

元々ハドソンとマイクロソフトの開発だったそうです。

企画と絵の出来が悪かったのでゲームパブリックが修正しました。

その後、デザイン分のギャラを請求するとマイクロソフトはハドソンにあげたとのことで、ハドソンに問い合わせると、描き直し分は別予算だから知らないとされ、最終的に3社痛み分けとされました。

こんなことがまかり通るんですね…ババ抜きのババをひかされた格好です。

恐ろしい世界です…

 

17億もの負債を抱えて倒産

ゲームリパブリックで社長として手腕を発揮するはずが…

多くの負債を抱えてしまいます。

社員に給料の遅配や未払いで2ちゃんねるにスレッドが立ったりしてしまいます。

さらには社長である岡本吉起さんがうつ状態にも。

何故そんなことがおきたのかというと…プレステをソニーと組んでいたのでしたが、急に契約を打ち切られちゃったのだとか。

そんなことがあるんですね…

それで、急いで組む相手を探して、見つけたのがアメリカのファンド系の投資会社でした。

しかし組んだ相手が悪かった。

投資会社からのお金でゲームをつくっていました。

しかし契約形態がかなり不利な状態で結ばされていたと言わざるを得ないような内容でした。

マイルストーンという毎月の途中経過を見せる契約になっていたので、モノができなければ、契約違反をしたことになり、それまでのお金も全額返すという無茶なルールでした。

ちょうどそのころはリーマンショックを引きずっていたような時期。

そんな時に「この段階では、今月はお金を出せない」っていうことになってしまいました。

そんな時に、銀行に運転資金を借りてなんとかして雪だるま式に負債が増えていったという訳ですね。

そんなときの平成23年(2011年)倒産してしまいます。

 

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モンスターストライクで復活

ゲーム業界から姿を消したとみられていた岡本吉起さん。

しかしゲームリパブリックの残党が始めた394というケータイアプリの会社にいました。

最初は少人数で始まったプロジェクトでしたが、スピード感と、最後のゲーム開発という背水の陣で臨んだ岡本吉起さん。

その後モンスターストライクが世に出ると…

あっという間に広まっていきましたよね。

 

現在は?

モンスターストライクの成功で、復活を果たした岡本吉起さん。

そんな岡本吉起現在は、株式会社オカキチ代表取締役社長に。

また若手ゲームクリエイターの創作支援に対する助成支援を目的とした 公益財団法人 日本ゲーム文化振興財団の理事長にも就任されているんですね。

 

年収は?

モンスターストライクの成功で復活した岡本吉起さん。

年収について調べてみると…

カプコン時代の数十倍にまでなっているとの話が。

モンスターストライクの開発段階では月15万円だったそうです。

それが一気に億単位に。

やはり一度成功している人は何かのキッカケで浮上してくるものなんですね。

ホントスゴイ人ですね。

 

まとめ

コナミで成功し、カプコンで揺るぎない地位を築くもリパブリックで負債総額17億円という途方も無い借金を抱えた岡本吉起さん。

モンスターストライクの成功で現在は年収が億単位になり完全復活を遂げました。

今後の岡本吉起さんに注目ですね!

それでは最後までお読みいただきありがとうございます!

 

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