新元号の発表が遅いのはなぜ?公布されても施行は5月2日になる?

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こんにちはノリスケです。

「平成最後の…」という言葉が夏頃から聞かれてきて、いよいよ改元までカウントダウンが始まっていますね。

元号は西暦645年の大化から始まり、平成まで実に247の元号が使われていました。

248番目となる2019年5月の改元の発表も楽しみですね。

とはいえ、改元を前に実に様々な問題が起きているようで、半年前となった現時点(記事執筆時12月16日)でもいつ発表するのかがわかっていません。

この発表がずれ込むことで、施行もずれ込むわけですよね。

各方面では事前に発表してほしいとの話を聞きますが…

実際に改元が行われてきた歴史には様々ありますね。今回は新元号の発表が遅いのはなぜか調べてみました。

 

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目次

新元号に変わるタイミングは?

改元の日付は、平成は翌日改元でした。

  • 明治までの多くは当年(年初)から改元する年初改元
  • 大正・昭和は当日(日初)から改元する当日改元

これらは過去にさかのぼって改元していました。

各元号の有効な期間は、

  1. その後の文書で当時の日付に言及する場合
  2. 当時の文書でそのときの日付に言及した場合
のいずれかで異なっていたようです。

昭和から平成への改元はどうだった?

昭和天皇崩御に伴い翌日に平成となりました。

この時の改元のタイミングはどうだったのでしょう?

昭和天皇崩御から、同日平成天皇が即位しました。

平成64年1月7日に昭和は終わり、翌日から平成元年1月8日となったんですね。

 

幻の昭和64年生まれも

1989年生まれには、1月7日生まれまでは幻の昭和64年生まれとなり、翌1月8日生まれ以降から平成元年生まれとなりますね。

ちなみに昭和64年生まれの芸能人が数人いますね。

 

名前 誕生日 職業
内村航平 うちむらこうへい 1月3日 体操選手
梅田彩佳 うめだあやか 1月3日 元AKB・タレント
亀田大毅 かめだだいき 1月6日 元プロボクサー
杉ありさ すぎありさ 1月6日 タレント

この中で元AKB48の梅田彩佳さんは、生年月日の選択欄では昭和64年がなかったそうで、悩まれたことを告白されていますね。

ちなみに、昭和64年に生まれた人は、23,912人と言われています(正確な数字がわからないため)
これは1989年の総出産数1,246,802人を365で割り、7をかけて導き出した人数です。

 

平成の終わりと次の元号の切り替わりのタイミングは?

ここで問題になりそうなのが、改元の日と施行の日付が1日ズレるということになっているようです。

そうなると5月1日に新元号が発表、翌日の5月2日に新元号が始まるということになるのでしょうか?

 

平成31年生まれと新元号生まれの割合が半々に

2019年は平成31年生まれと、新元号生まれが半々になるために、各方面で混乱必至となりそうですね。

10数年後には、平成31年生まれと新元号生まれと出てきそうですね~。

改元(新元号)はいつから?発表のタイミングや災害による元号改変の歴史についても

 

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新元号発表が遅いのはなぜ?

新元号が始まるのが、2019年とされていました。

そのタイミングは、平成天皇在位30周年の記念式典が、平成31年(2019年)2月24日に行われるためで、これ以前に新元号が発表されるのはいかがなものかという流れからなんですね。

さらに、保守層からは新元号は即位が発表されてからということも、発表を遅らせている一因であることがいえそうです。

とはいえ、過去の改元のタイミングでは、現在のようなデジタルではなかったため、それほど問題にはならなかったのでしょうね。

このデジタルに変わったことによりデータ化が難しくなってきました。

ここに、一部のシステム関係者からの混乱が予想されることから発表が遅いとなっています。

新しい時代の幕開けとなっていくことから国民の関心事であることは間違いありません。

とはいえ、現在の複雑なデジタル化された時代にあっては、混乱は少ないほうがいいとのことで、いろんな人のいろんな思惑が複雑に絡んでいるんでしょうね。

でも…大正から昭和への改元の時に起きたこの事件があったために発表が慎重にならるを得ないとも言えそうです。

 

大正から昭和の改元の時にあった光文事件

光文事件というのが、大正から昭和の改元の際にありました。

これは、大正天皇崩御の際に次の元号が光文となったのをスクープした事件です。

ことの顛末は、1926年(大正15年)12月25日午前1:25に大正天皇が48歳で崩御されました。

東京日日新聞(現毎日新聞)が崩御直後に発表した「聖上崩御」号外で元号は「光文」と最初にスクープ記事を出したということなんですね。

「光文」「大治」「弘文」等の諸案から光文が内定となったのを号外で報じています。

この時、当時の宮内省での情報漏洩があったそうです。

この時、政府の発表前にスクープという形で出たために、急遽「昭和」に変更されたんですね。

そんな歴史の前例から見ても、「発表が前もって」というのはなさそうです。

 

新元号の条件とは?

元号が変わる時の条件があり、

  1. 国民の理想としてふさわしいような良い意味を持つもの
  2. 漢字2文字(ただし749~770年まで漢字4文字の元号が使用)
  3. 書きやすいこと
  4. 読みやすいこと
  5. これまで元号またはおくり名として用いられたことがないこと(過去の元号の再使用は不可)
  6. 俗用されているものでないこと(人名・地名・商品名・企業名は不可)

となっていますね。

さらに過去、247ある元号で使われた漢字は実は72文字のみなんですね。

そのうち21文字は10回以上用いられ、一番多いのが「永」の29回、2番目が「天」「元」の27回だったんですね。

 

まとめ

来年平成31年(2019年)は「己亥(つちのとい)」というんですね。

これは60年に一度のことなんです。

60年前の1959年(昭和37年)を調べてみると、皇太子様と美智子様のご成婚がありました。

その60年後である平成31年(2019年)に退位されるというのは何とも不思議なめぐりあわせですよね。

現皇太子さまが即位されて改元が行われても、しばらくは混乱は避けられそうもなさそうです。

しかしながら…これも新しい時代の幕開けを迎えるのには生みの苦しみというのもあるのかも知れませんね。

また新しい情報が入り次第追記しますね。

【関連記事】

新元号(2019年から)西暦と和暦の簡単便利な変換方法!

 

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