一隅を照らす人

山口紗貴子(チア)は結婚している?大学やwiki情報をリサーチ!

こんにちはノリスケです。
山口紗貴子さんという方が39歳ながらアメリカンフットボール(NFL)の
チアリーダーに初合格しました。
失礼ながら女性で39歳という年齢でチアリーダーというのはものすごい快挙ですよね。
合格したアメフトチームはシンシナティベンガルズというチームだそうです。

とっても輝いていますね。
今回は山口紗貴子さんwiki情報について調べてみました。

 

 

山口紗貴子さん

画像も情報も少ないんですよね…

こちらはFacebookからです。

とってもキレイな方ですね。

以下プロフィールをまとめてみました。

プロフィール

  • 山口紗貴子(やまぐち さきこ)
  • 昭和54年(1979年)2月生まれ39歳
  • 東京都江東区大島在住
  • 東京都千代田区出身

 

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大学はどこ?

平成9年(1997年)玉川大学に入学しています。

玉川大学時代、ダンスドリルチーム「ジュリアス」に入部、

チアを始めています。

玉川大ジュリアスはチアダンスの名門で、

3年の平成11年(1999年)には日本学生選手権で優勝、

全米学生選手権でも8位に入賞する実績を残していますね。

 

結婚している?

調べてみたところ…

情報元が少ないために断片的にしかわからないのですが、

結婚している事実は確認できませんでした。

独身のようですね。

 

二刀流チアリーマンとして

大学卒業後、しばらくはチアから離れていた山口紗貴子さん。

平成18年(2006年)には

社会人アメリカンフットボール・Xリーグ

オービックシーガルズ専属チアリーダー

「シーチア」に加入しています。

そこで再びチアの世界へ戻ってきました。

平成22年(2010年)には

オービックが日本一になったのを機にチアを卒業していますね。

卒業後は、プロフェッショナルチアリーディング協会

「オールスタープロチアリーダーズ」に所属、

不定期で企業のイベントや、テレビのバラエティー番組などに出演してきた。

こうしたチアの活動をしつつも、インテリア関係の会社で

12年間営業職としてのキャリアもあります。

営業職をしつつも、チアも活動されて、まさに二刀流として活躍されています。

ホント頑張り屋さんなんですね。

仕事が多忙で終電帰りが続く日々もあったとか。

その合間に練習やトレーニングを重ねて二刀流を確立してきたんですね。

ちなみに…

チアリーマンとは

チアリーダーとサラリーマンを掛け合わせて「チアリーマン」

と山口紗貴子さんは表現しています。

まさに大谷翔平選手を彷彿させる活躍ですね。

 

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NFLを目指したキッカケは?

平成25年(2013年)同じチアの仲間である

森下昌子さんが、NFLワシントン・レッドスキンズの

専属チアリーダーに合格したのがキッカケでした。

実際にワシントンレッドスキンズの本拠地、

フェデックスフィールドの8万人以上の観客の前で

森下さんが踊るのを見て触発されたと言います。

「もっと上に行きたい。この異空間でパフォーマンスをしたい」

そんな強い思いを抱いたのが34歳の頃でした。

 

退路を断つ

翌年の平成26年(2014年)から

NFLのチアオーディションを初受験しています。

しかしニューヨーク・ジェッツを受験するも

1次で落とされるなど3チームで不合格となりました。

日本では実績を積んでいたはずの山口紗貴子さん。

壁にぶつかりました。

きっと…

もう年齢的にもうダメだって落ち込んだのかもしれません。

でも…

同時にまだここで終われないという闘争心も

湧き出たに違いありません。

その後、毎年複数のNFLチームを受け続けたのでした。

いつしか…

「年齢的にもう限界」と考えていた山口紗貴子さん。

40歳で初めてNFLチアリーダーになり45歳まで活躍された
ローラ・ビクマニスさんを知ることになります。

米オハイオ州のシンシナティ・ベンガルズは
「年齢では判断しない方針」を知り、受験します。
ディレクターの目に留まり、

オーディションでは最終選考まで残りました。

ダンスの技術を高く評価されただけでなく、

問題点であった就労ビザの問題についても相談に乗ってくれたのでした。

結果問題点は年齢ではなくビザの問題でした。

年齢的に…

と思っていたのは幻想でしかなく、その他の問題点があったから

だったんですね。

そして平成29年(2017年)思い切った決断をします。

退路を断ちました。

12年間勤めた会社を辞めて9月に渡米。

シンシナティに居を定めました。

問題点をクリアにするために。

ベンガルズチア以外は受験しないことにしました。

語学学校に通いながら、シンシナティという街を知り、

ベンガルズの試合をスタンドから見て、

チームのダンススタイルを学びます。

ものすごい努力ですね。

退路を断ち、やるべきことを全てやり尽くすって

こういうことを言うんですね。

山口紗貴子さんの強い思いと行動力に、自信という
強みを持って盤石になっていきました。

そして…

一次、二次、面接という選考に順調に通過、

運命の最終選考に。

いつしか…
シンシナティでできた友人ら30人以上が応援に

駆けつけてくれたのでした。

 

「本番のパフォーマンスは、楽しくて、あっという間に終わってしまった」

 

運命の合格発表には

29人の合格者の中に山口紗貴子さんも。

「39歳でも、努力次第で体形もダンスも20歳の子に負けないようにできると信じてきた」

「これまで多くの挫折があり、どれだけ泣いたか分かりません。

サポートや応援をしていただいた皆様へ、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました」と語っています。

ホント素晴らしいですね。

諦めなければいつか夢は叶うといいます。

でもここまで費やした時間や労力を考えると、中々真似できるものでもありませんね。

ホントスゴイことですね!

 

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まとめ

山口紗貴子さんの努力が身を結び、シンシナティベンガルズ

のチアリーダーとして今後活動されます。

現時点(2018.5.12)ではいつからというのはわかりませんが、

今後の活躍に期待されます。

ホントよかったですね。

また新たな情報が入り次第追加しますね!

それでは最後までお読みいただきありがとうございます!

 

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