こんにちは、ノリスケです。
1年半という長い間テレビで見ることのなかったウエンツ瑛士さんが日本に帰国しました。そもそもウエンツ瑛士さんはどこに行っていたの?と思う人もいるんじゃないでしょうか。
1年半もの間ウエンツ瑛士さんどこで何をしていたのか調べてみました。
プロフィール
ウエンツ瑛士さんはいつからテレビに出るようになったのでしょうか。
最初にウエンツ瑛士さんのプロフィールをまとめてみました。
本名:ウエンツ 瑛士
生年月日:1985年10月8日
年齢:34歳
出身:東京都武蔵野市身長:170㎝
血液型:O型
事務所:バーニングプロダクション
エヴァーグリーン・エンタテイメント(業務提携)
経歴
父親はドイツ系アメリカ人、母親は日本人。ハーフではあるが、生まれも育ちも日本のため、英語は全く喋れず見た目にコンプレックスを抱いていました。4歳のころからモデルを始め、当時はSugar&Spiceという事務所に所属していた。天使系美少年と呼ばれ多くのCMや雑誌などで活躍します。
9歳の時、劇団四季の「美女と野獣」のチップ役で役者デビューを果たします。
1995年にNHKの「天才てれびくん」でてれび戦士として5年間レギュラー出演をしていました。当時は現在のお調子者のキャラクターでなく美少年キャラだったので当時からのファンは現在でも多くいるようです。
2000年に天才てれびくんを卒業後、芸能界を一時引退します。
翌年芸能界に復帰し、大河ドラマ「利家とまつ」に出演します。小池徹平とシンガーソングライター・デュオを組み、これがのちの「WaT」となります。
俳優、ミュージシャンと活躍の場を多く広げていきます。
主な作品
2005年 TBS 『正しい恋愛のススメ』 でドラマ初主演。第47回『ザテレビジョンドラマアカデミー賞 新人俳優賞』を受賞。
「僕のキモチ」でメジャーデビュー(WaT)『第56回NHK紅白歌合戦』 に初出場
2006年 「あいのり」「ポンキッキーズ」のメインレギュラー
2007年 『キャプテントキオ』で初出演映画公開
『ゲゲゲの鬼太郎』公開
「Awaking Emotion 8/5」でソロデビュー
1年半不在の理由は?
映画主演や紅白出場、レギュラー番組も何本か持っていたウエンツ瑛士さんですが、2018年9月末にレギュラー番組である「火曜サプライズ」で1年半日本での活動を休止すると発表しました。
同年10月からイギリスのロンドンへ演技の勉強のために留学をすると決めたそうです。
突然の留学宣言に周囲は「何か問題を起こしてしまったのではないか」という憶測が飛び交いました。ですが、そんなことは一切なくウエンツ瑛士さんは長年ウエストエンドの舞台に立ちたいという夢を持っていたそうです。
ウエストエンドという言葉は聞きなれない人も多いと思いますが、アメリカでいうブロードウェイのようなものです。
当時多くの仕事を抱えていたはずなので、決断に相当な覚悟が必要だったのではないかと思われます。ですが、その決断は決して思い付きではなく、何年も前から計画していたことがうかがえます。その理由のひとつに、活動停止をする2年半ほど前にWaTを解散しています。
また、留学をすることで誰かを傷つけてしまうのではないかという葛藤もあったようです。そんな思いを抱えながらも留学を決断したのは、やはり大きな夢を叶える為だったのでしょうね。
どんな生活を送っていた?
ではロンドンでの留学生活は一体どんなものだったのでしょうか。
演技の勉強と同時に語学の勉強もしていたウエンツ瑛士さんは英語が全く話せない状態で渡英したため、言葉の壁に苦労したようです。
思ったことをうまく伝えられない、レッスンを受けていても何を指摘されているのかわからないといったことで軽く鬱状態までになっていたそうです。
そんな彼ですが、持ち前の明るさと人の良さで多くの友達を作りなんとか乗り切っていけたようです。留学中、一緒に芝居のレッスンを受けていた仲間と、脚本家、演出家を自分たちで探し全て英語での舞台を成功することができたのだそうです。
今回の留学で自分のことを凄く好きになったとおっしゃていたウエンツ瑛士さんは、日本にいた時よりも一回りも二回りも大きくなったように感じ取れます。
気になる恋人は?
留学中の恋愛事情ですが、本人曰くモテモテだったそうです。
彼女もいたそうですが、帰国した時点では彼女はいないようです。現地の女性へのアプローチは日本とは違っていたため、毎回会うたびにお花を持参するなど、まるで英国紳士のようなデートを楽しんでいたようです。
まとめ
1年半の留学を終えて日本に帰ってきたウエンツ瑛士さんですが、早速依然と変わりなく多忙な毎日を過ごされているようです。バラエティ番組での活躍も楽しみですが、ロンドンで学んだ演技の力を存分に発揮してもらいたいですね。