こんにちはノリスケです。
ユネスコの世界文化遺産に、「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」が登録されることがほぼ確実になりました。
この中にある仁徳天皇陵、履中天皇陵の前方後円墳。
社会の教科書にも載っていた前方後円墳ですが、最新の研究では仁徳天皇陵とされていた前方後円墳は、誰の墓であるのか未だ解明されていないのだとか。
そのため、最近では大山陵古墳といわれています。
ちなみに宮内庁によれば、仁徳~というのは通称で、正式な呼称は「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」というそうです。
今回は世界遺産登録間近となった前方後円墳の前はどちらなのか?また中身はどうなっているのか?なぜあの形なのか調べた結果をまとめました。
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前方後円墳の前はどちら?
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インスタの画像のように写真の上を円にしているのが多いため、この形がしっくりくるような感があります。
では実際に前はどちらなのか?
調べてみると、前方後円墳と名付けた人が江戸時代にいました。
この方は蒲生君平(がもう くんぺい)という方で江戸時代後期の儒学者であり、天皇陵を踏査して「山陵志」を著した尊王論者、海防論者としても知られています。
また最近では前方後円墳の名付け親としても。
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さてその蒲生君平によれば、天皇陵を踏査した実績から、円形の部分を牛車(ぎっしゃ)の屋根、四角形の部分を「ながえ(牛車の前に二本突き出した、牛と車をつなぐ棒)」のようであるとして、前方後円墳と名付けました。
近年の研究の結果、円形の部分は死者を葬った場所であるということと、のちに古墳の祭壇に当たる場所となったという説が有力です。
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中身はどうなっているの?
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現在地上から見た仁徳天皇陵の前方後円墳は小高い丘にしか見えません。
気になる中身はどうなっているのか調べてみると、
墳丘の一番上の方の埋葬施設(まいそうしせつ)に葬(ほうむ)られています。それは円墳(えんふん)、方墳(ほうふん)であれば上の真ん中に、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)であればふつうは後円部(こうえんぶ)の一番上の真ん中にあります。ただ、大仙(だいせん)古墳であれば前方部(ぜんぽうぶ)からも竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)が出てきて、その中には長持形石棺(ながもちがたせっかん)がありました。
また墳丘の斜面には、石(葺石・ふきいし)が敷きつめられているものもあり、装飾や墳丘の崩れの防止などが目的だと考えられています。
また、墳丘が2段・3段になっているものや、濠が2重・3重になっているものもあります。
形も、上から見たときに、鍵穴の形をした「前方後円墳」、円形の「円墳」や四角形の「方墳」などバラエティーに富み、大きさも10m程度から400mを超える巨大なものまでさまざまです。
今となっては木もうっそうと茂っていて原形のみをとどめているようで全体像が地上からではわからないですね。
また、
また、墳丘の内部には埋葬施設があり、副葬品が添えられていることが多く、その埋葬品から被葬者の生前の財力・権力などを推測することができます。
何故あの形に?
いろいろな説があります。
鍵穴に似ているというのは、そもそも考え方が違うと思います。
古墳の方が古いですし、古墳を元に鍵穴ができたということからですね。
よくよく調べてみると、中国の天円地方という考え方があります。
天円とは、天は円く、地は方形であるという古代中国の宇宙観なんですね。
中華文化圏の建築物や装飾のモチーフとして用いられています。
天が円で表されるゆえんは、星の運行が円運動で表されるためなんですね。
天円のモチーフはこの建物です。
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まとめ
ユネスコの世界文化遺産に、「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」が登録されることが確実となりました。
前方は四角の部分、中身は墳丘の一番上の方の埋葬施設(まいそうしせつ)に葬(ほうむ)られています。それは円墳(えんふん)、方墳(ほうふん)であれば上の真ん中に、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)であればふつうは後円部(こうえんぶ)の一番上の真ん中にあります。ただ、大仙(だいせん)古墳であれば前方部(ぜんぽうぶ)からも竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)が出てきて、その中には長持形石棺(ながもちがたせっかん)がありました。
またなぜあの形なのかは、中国の天円地方という考え方が元になっているようです。
それでは最後までお読みいただきありがとうございます。
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