こんにちはノリスケです。
甲子園の応援歌としてもすっかり定着しつつあるダイナミック琉球。
唄っているシンガーソングライターの成底ゆう子さんが東京・池袋の東武百貨店の屋上広場でフリーライブを行った様子がネットニュースで話題になっていました。
甲子園効果のためか、東武百貨店のフリーライブでは立見客が出るほどの盛況ぶりだったのだとか。
実は野球以外にも、サッカーや、バスケ、ソフトボールやラグビーなど競技の垣根を越えて応援曲として広がりを見せているのだとか。
そんな応援歌を唄っている成底ゆう子さんに注目してみました。
今回は成底ゆう子さんについて調べてみました。
成底ゆう子さん
成底ゆう子さんは石垣島出身なんですね。
笑顔が素敵な方ですね。
まずはプロフィールから。
プロフィール
- 成底ゆう子(なりそこ ゆうこ)
- 昭和50年(1975年)12月11日生まれ 42歳
- 沖縄県石垣島出身
高校や大学はどこ?
調べてみると高校名の特定まで至りませんでした。
全国音楽コンクール県大会、声楽部門では、 2年連続金賞を受賞していたんですね。
大学は武蔵野音楽大学というのがわかりました。
結婚している?
調べてみると…
結婚している事実や、子供がいるという事実はありませんでした。
どうも独身のようですね。
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経歴
成底ゆう子さんは沖縄県石垣市宮良村生まれですね。
民謡歌手の親戚の影響を受け幼少のころから民謡に親しんでいた成底ゆう子さん。
さらにクラシック好きのお父さんの影響からピアノも習い始めます。
小学校3年生の時には、地元の合唱団に入団しています。
高校に入学すると、合唱部員やバンドのキーボード奏者として活躍されていました。
後のきいやま商店のメンバーともこの頃バンド仲間だったんですね。そのころから曲作りも始めました。
※きいやま商店~石垣島出身のエンタメバンド
高校2年、3年の時に出場した全国音楽コンクールの県大会「声楽部門」では2年連続で金賞を受賞しています。
高校卒業後は、武蔵野音楽大学に入学します。
この時志していたのがオペラ歌手。
卒業後にはイタリアの歌劇団に研究生として入団するも、端役しか配役されず挫折します。
帰国後はライブハウスでソロアーティストとして活動を開始します。
森繁久彌さんが最後に出演されたDVD霜夜狸のイメージソングに大抜擢され、この時森繁久彌さんに次世代に託した奇跡の歌姫といわしめました。
ふるさとからの声でメジャーデビュー
平成21年(2009年)には日本テレビ系で放送された「誰も知らない泣ける歌」に西田敏行さんの推薦で「ふるさとからの声」が取り上げられました。
放送直後には、問合せが殺到!
「iTunes」歌謡曲部門でダウンロード1位を果たします。その後もライブ会場などで唄われ続けていました。
この曲は上京した人が聴くと必ず涙する曲といわれて話題になっていました。
そして35歳でメジャーデビューします。
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35歳でメジャーデビューというのもスゴイですね。
遅咲きといえそうですが、歌唱力が抜群でも中々チャンスに恵まれずに消えていく人が多い中、こうしてあきらめずにメジャーデビューを果たすことができたというのはホント凄いことだと思います。
動画を聞きながらちょっとウルっとしてしまいました。
ダイナミック琉球が甲子園で応援歌として唄われて有名に
この曲はもともとカバー曲なんですが、成底ゆう子さんが平成23年(2011年)にリリースされていたんですね。
原曲はイクマアキラさんが唄っていた曲なんですね。
甲子園の応援歌として唄われて、MVを9年ぶりにリニューアルしました。
原曲がこちらですが、また違った曲に聞こえるから不思議ですね。
まとめ
ダイナミック琉球で再び脚光を浴びそうな成底ゆう子さん。
これまでにアルバムが6枚、またシングルを5枚リリースしていますね。
台湾でもオムニバスアルバムの「島ぬ風(島國之風)が発売されていますね。
今後の成底ゆう子さんに注目ですね!
それでは最後までお読みいただきありがとうございます
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