高田賢三の現在や破産の噂は?結婚や経歴,wiki情報をリサーチ!

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こんにちはノリスケです。

9月28日金曜日、夜7時からTBS系で放送の爆報THEフライデーにファッションデザイナーの高田賢三さんが出演されます。

ファッションデザイナーの高田賢三さんと聞いてピンと来る方はかなりのファンですね。

しかしKENZOというブランドなら知ってる方も多いのでは?

KENZOの創業者の高田賢三さんを調べてみると「破産」というキーワードが。

世界的なブランドのデザイナーとして世界の第一線で活躍していた人が破産とは?

また現在の高田賢三さんや、結婚しているのか、wiki情報をリサーチしてみました。

 

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高田賢三さん

 

 

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高田賢三さんは世界のKENZOのブランドの創業者ですね。

以下プロフィールです。

プロフィール

  • 高田賢三(たかだ けんぞう)
  • 昭和14年(1939年)2月27日生まれ 79歳
  • 兵庫県姫路市出身

実家は待合旅館を経営され、兄妹は兄、姉、弟に妹がいますね。

 

KENZO

高田賢三さんは知らなくても、KENZOを知ってる方は多いのでは?

こちらですね。

 

今はまた変わったんですね。
昔はKENZOのロゴがよく目立ってましたが。

 

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経歴

姫路市立野里小学校、姫路市立広嶺中学校、兵庫県立姫路西高等学校を経て、神戸外国語大学2部英米学科に入学した高田賢三さん。

でも途中で退学していますね。

それには幼少期の高田賢三さんの環境が少なからず影響していたんですね。

高田賢三さんは三男。

長男、次男とは年が離れていて、4つ年上の長女や2つ上の次女と遊んでいたんですね。

しかも実家は待合旅館ということで和服の女性が出入りしていたことも、その後のファッションデザイナーの道へと続くこととなったんですね。

さらに姉は洋裁の勉強をしていたこともあり、かなり影響されたんですね。

そういったことから、文化服飾学院デザイン科に男子生徒の門戸が解放されたため、入り直したんですね。

この時の同級のデザイン科9期は「花の9期生」と言われています。

その卒業生がまたものすごいんですね。

コシノジュンコさんをはじめ、松田光弘さん、金子功さん、北原明子さんなど後のファッション界をリードする人材が同級生です。

装苑受賞

この当時デザイナーの目標は、ファッション誌「装苑」でのコンテストの受賞でした。

この時の装苑賞はデザイナーの登竜門とも。

コシノジュンコさんが昭和35年、60年上期に最年少で受賞しました。

もちろん高田賢三さんも触発されたに違いありませんね。

下期は高田賢三さんが受賞しました。

アパレルメーカーに就職が決まった高田賢三さん。

 

会社を休職し留学

昭和39年(1964年)、住んでいたマンションが立ち退きに遭い思わぬ副収入を得た高田賢三さん。

この時に会社を休職して、パリへ留学します。

この時に、今は飛行機が主流ですが船旅で一ヶ月かけて、アジアや中東、アフリカ、ヨーロッパで見聞したことが、その後のKENZOのデザインのモチーフに役立ったのだとか。

パリの憧れのブティックにデザイン画を持ち込むと、即座に売れデザイナーの道が拓けた高田賢三さん。

ここからKENZOのブランドを立ち上げるキッカケと自信へと変わっていったんですね。

 

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結婚している?

実は婚姻届を出すような結婚生活はなかった高田賢三さん。

高田賢三さんがKENZOのブランドを立ち上げた時から、パートナーとして働いていた、「グザビエ」さんという方がいらっしゃいました。

詳しくは書籍の中で詳細はわかりますが、公私ともに「グザビエ」さんとのことを独白されているんですね。

 

グザビエさんとの出会いと別れ

高田賢三さんとのパートナー関係にあったグザビエさんとは、グザビエ・ドゥ・カステラさんという男性の方。

なんと、グザビエさんは、ルイ14世から伯爵の称号をもらった人なんですね。

同性でありながらパートナーとしての関係は私自身よくわかりませんが、その中を切り裂く出来事がありました。

なんと平成2年(1990年)死別してしまうのでした。

それまでKENZOのブランドを支え続けてきた人が亡くなり、また、パタンナーの近藤敦子さんも翌平成3年(1991年)も脳梗塞で倒れ、さらに実家の母も亡くなってしまうのでした。

 

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破産した?

破産したという噂はどうなのでしょうか?

1990年代にはいり、

共同経営者であるフランソワ・ボーフュメさんとの確執や、

グザビエさんと母親を亡くし、そんな時ビジネスすらも傾いてきたのでした。

周りで固めてくれた人達が盤石そうに見えてもちょっとしたほころびから狂って行くことはよくある話ですね。

この時、共同経営者のフランソワ・ボーフュメさんの解任をするために工作するも、失敗に終わります。

平成11年(1999年)30年、60歳を区切りに第一線を退きます。

その後、第一線を退いたのでした。

五感工房をたちあげるも破綻

一時第一線を退いていた高田賢三さん。

平成16年(2004年)にはファーストリテイリングが手がけるアテネ五輪の日本代表のユニフォームをデザインします。

その頃、新たに五感工房を立ち上げました。

しかし…3年後会社が軌道に乗らず資金繰りが悪化、破綻してしまいます。

その時にパリにあった日本庭園が美しい自宅も売却してしまいます。

この時にどうやら破産したようです。

この時の話は爆報THEフライデーで詳しく話されるでしょうね。

 

現在は?

実は…高田賢三さんは書籍を出していました。

その中で男性パートナーとの結婚同様の関係を赤裸々に語って話題になっています。

 

今となっては世の中様々な人がいるので、同性でも公私ともにパートナーとなる人がいてもおかしくないのかも。

 

まとめ

世界的なデザイナーの私生活って中々知る機会はありませんが、番組で赤裸々に語られることで知りえることが大いに違いありませんね。

高田賢三さんは今でも世界で活躍されているデザイナーですが、現在は悠々自適な生活をしているのでしょうか?

詳しくは書籍を見ると、わかってきそうですね。

結婚はされていませんでしたが、パートナーの存在や、死別したことも明らかになりました。

 

それでは最後までお読みいただきありがとうございます!

 

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    ノリスケです

    40代のしがないサラリーマンです。 タイ子とイクラの3人家族です。 日々の気になる出来事に一隅を照らしていきます。 「一隅を照らす」とは 自らの置かれた立場を受け入れて、 その中で頑張っていつか花を咲かせよう そういう思いから立ち上げました。

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