渡辺和也(東京国際大学)の日清退社の理由は?箱根出場の経緯についても

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東京国際大学の渡辺和也選手が箱根駅伝の予選会で、なんと30歳1年生として話題になりました。

こんにちはノリスケです。

オールドルーキーと言われた渡辺和也選手。

30歳で(実際には29歳で)何故大学に?って思っちゃいました。

 

今は年齢制限も撤廃されて、走ろうと思えば大学に入学して駅伝部に入部すれば出来るのですが、陸上部名門の日清を退社してまで選びたかった道って気になりますよね。

今回は渡辺和也選手の日清退社の理由と箱根駅伝出場の経緯について調べてみました。

 

 

目次

渡辺和也選手

  • 渡辺和也(わたなべ かずや)
  • 昭和62年(1987年)7月7日生まれ 30歳
  • 兵庫県西宮市出身
  • 172㎝
  • 52kg
  • 報徳学園高等学校卒

渡辺和也選手は中学校から陸上を始め、早くも頭角を現します。

全日本中学校選手権に出場します。

高校時代には、

報徳学園高等学校に在籍し、全国高校駅伝大会で4位入賞時のメンバーに。

そして、翌年には駅伝で3区を走り、8人抜きの区間2位を記録します。

 

山陽特殊製鋼時代

平成18年(2006年)には山陽特殊製鋼へ入社します。

9月に行われた全日本実業団選手権ジュニア5000mにおいて優勝、

関西実業団駅伝では2区の区間賞を獲得、更に山陽特殊製鋼優勝にも貢献します。

全国実業団駅伝にも3区で出場します。

翌平成19年(2007年)には静岡国際陸上1500mでは3分42秒73という記録をだしています。

更に関西実業団選手権5000mで大会記録を更新して優勝。

この頃、1500m日本歴代2位となる3分38秒11という記録をだして北京五輪参加標準記録Bを突破します。

しかし…

すこしづつ、記録が伸び悩み始め、(脚の痙攣によるもの等のアクシデントもあった)

平成22年(2010年)日本選手権1500m5位を最後に退社します。

 

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中国電力~日清時代

中国電力時代には10000m、5000mの自己記録を更新しています。

平成23年(2011年)ゴールデンゲームスinのべおか5000mでは、

13分23秒15で優勝、世界陸上5000mの参加標準記録Bを突破しています。

さらにこの年の日本選手権で5000mに出場し優勝、

世界陸上への切符も手にします。

しかしながら…

他の選手とアクシデント!

もつれて転倒したため記録が伸びず18位という結果で決勝進出にはかないませんでした。

その後、平成25年(2013年)には日清食品グループへ。

その日清食品グループも平成28年(2016年)に退社します。

実はこの頃の年収は結構あったようで、四国電力時代には高級車を所有、

更には高給取りである日清食品グループにいたことを考えると、

「今更?」「何故?」といった声が聞こえてきそうです。

 

日清退社の理由は?

 

理由は明確には本人しか知り得ないでしょうが、ツイッターにはこんな自身のつぶやきが。

こうして夏合宿に参加する頃には気持ちが傾いていたんですね。

東京国際大学の学生や監督と交流していきながら徐々に忘れかけていた駅伝への思いや、将来指導者を目指すということなんでしょうね。

卒業後、東京国際大学の監督に就任したりして。

 

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まとめ

 

オールドルーキーと言われた渡辺和也選手。
箱根駅伝の予選会に総合10位で本選に出場が決定しました。

こうして経歴を見てみると、大きなひのき舞台での実績ってあまりないように感じました。きっと渡辺和也選手自身にとっても、もう一花咲かせたかったという思いもあったのでしょうね。

今後の渡辺和也選手に注目ですね!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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