田原直哉(初五輪)の経歴がスゴイ!体操時代や転向後の苦労や苦悩も

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苦労人…という言葉で言い表せないような経歴の持ち主である田原直哉選手が37歳で初のオリンピック内定です。

ふと見た記事にものすごい苦労と、執念を感じました。

こんにちはノリスケです。

オリンピックというほんの一握りの選ばれた人しか出場できない、また多くの人がそこにまで到達すらできないのに、田原直哉選手という人は体操を引退し、スキーは全くの素人。

そこからオリンピック選手に選ばれるなんて同世代の星ですね。

奇しくも松坂世代と言われたこの年代の人達にはホント勇気づけられますね。

今回は田原直哉選手の経歴やオリンピックにかけた執念を調べてみました。

 

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田原直哉選手

 

 

  • 田原直哉(たばら なおや)
  • 昭和55年(1980年)12月24日生まれ 37歳
  • A型
  • 和歌山県出身
  • 165cm
  • 68kg
  • 日本体育大学体育学科卒

田原とかいて「たはら」と読むのかと思ったら「たばら」なんですね。

8歳から体操競技を始めた田原直哉選手。

体操の経歴と引退の経緯

日体大時代の平成13年(2001年)にインカレで個人総合3位となり、体操界で名を知られるようになりました。

ナショナルチーム入りもし、ユニバーシアードや全日本選手権で活躍、

平成16年(2004年)のアテネオリンピックにも期待され候補まで行きましたが、惜しくも出場ならず。

その後、平成17年(2005年)には右肩の筋断裂というケガに悩まされ、リハビリ生活を余儀なくされます。

そんな時に、平成18年(2006年)のNHK杯では思うような成績が残せなかった背景には右肩のケガがありました。

治すには肩の手術をしなければならない。

体操を続けるか、また手術をしても北京五輪には間に合わない。

諦めざるを得ませんでした。そんな失意の中体操競技を引退することになりました。

しかし、

トリノオリンピックでみた映像が田原直哉選手の心に火をつけます。

スキーエアリアルの映像を見ていた田原直哉選手。

「これなら体操競技の経験を活かせるかも」

これが始まりでした。

 

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エアリアル転向

引退が平成18年(2006年)8月

翌月の9月には練習場があった福島に転居。

空中感覚は抜群にあっても、

でもスキーは全くのど素人。

「ハの字」というとスキーの全くの基礎。ここから始めたという田原直哉選手。

この間に民宿に住み込みのアルバイトをしながら競技を続けました。

自らの賭けは「やるしかない」

背水の陣でした。

スキーのインストラクターの養成コースに入り、スキーの練習を人一倍しました。

人に教えるためには自分が見本を見せなければという思いがあったのと、自らを追い込む意味もあったようです。

その甲斐あって、転向2年目の平成20年(2008年)には全日本スキー選手権で3位に。

平成21年(2009年)には全日本選手権で2位となり、世界選手権の日本代表にまでいきました。

平成23~24年(2011~12年)には全日本選手権で2連覇、

またワールドカップモンガプリエル大会では3位となり、日本人選手としても初の表彰台に上がりました。

平成29年(2017年)3月のワールドカップ7位入賞し全日本スキー連盟が定める派遣推薦基準をクリアしました。

 

エアリアルの競技と田原直哉選手

 

エアリアルという競技は冬季五輪では比較的新しい競技です。
平成6年(1994年)のリレハンメル五輪で正式採用されています。

 


とんでもない競技ですね…

大きなジャンプ台を飛んで空中での難易度の高い演技をして垂直に近い急斜面に着地するという競技です。

以降4回のオリンピックで日本人はいずれも結果を残せていませんでした。

しかし田原直哉選手はワールドカップという大舞台で表彰台に2度立っていました。

  • 平成24年(2012年)のモンガブリエル大会で3位
  • 平成28年(2016年)のディアバレー大会で3位

昨シーズンはトータルランク13位とまずまずの成績でした。

 

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日本のトップ選手でも厳しい環境

日本のトップ選手となった今でも、長野県白馬村の民宿に居候して宿の仕事を手伝いながらの生活なんだとか。

アルバイトなどで細々と生活費を稼ぎ、遠征費は全日本スキー連盟からの強化費だけでは足りず、インターネットで寄付を募って何とか賄っているそうです。

日本のエアリアルは最近2大会で選手を派遣できず、ナショナルチームも年度によって編成されなかったりも。

さらに国内では主流となる3回宙返りを練習できる規模のジャンプ台もないのだとか。

 

まとめ

平昌五輪に内定した田原直哉選手。

これまで苦渋を味わい続けてきた田原直哉選手はオリンピックという大舞台でどのような演技を見せてくれるのか?

また、田原直哉選手の一言が印象的です。

「俺が辞めたら誰がこの競技を引っ張るのか」

ずっとあこがれ続けてきたオリンピックの大舞台。

田原直哉選手に注目ですね!

 

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    ノリスケです

    40代のしがないサラリーマンです。 タイ子とイクラの3人家族です。 日々の気になる出来事に一隅を照らしていきます。 「一隅を照らす」とは 自らの置かれた立場を受け入れて、 その中で頑張っていつか花を咲かせよう そういう思いから立ち上げました。