大石豊(ボクシング)が救急搬送!復帰はいつ?経歴や戦績についても

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4月22日、東洋太平洋スーパーウエルター級タイトルマッチが、エディオンアリーナ大阪第2で行われました。

こんにちはノリスケです。

大石豊選手は東洋太平洋チャンピオンとして、初防衛戦をラーチャシー・シットサイトーンと。

2回にダウンを奪い9ポイントリードで迎えた12ラウンドに異変が。

大石豊選手が、左ストレートを被弾しダウンを喫しました。

一度目は立つものの、ロープ際で連打を浴び、レフェリーが試合を止めてTKO負けを喫しました。

気になるのが、リング上で意識を失い救急車で搬送されたこと。

試合を止めるタイミングを逸したのでは?

と、結果だけを聞くと、そう思うのですが、事はそう簡単にはいきませんよね。

東洋太平洋のタイトルマッチですから。

気になるのは大石豊選手の容態や、復帰について調べてみました。


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容体は?

救急車で運ばれるものの、意識は回復したようです。

しかしながら…
殴られて意識不明になるということは、脳に損傷があるかもしれないと、数日間入院することになるかも知れませんね。

その後の入院はいつまで?とか、復帰の予定などは不明です。
わかり次第追記します。
4月23日22:00【追記】

意識が戻った大石豊選手、残念ながら…

開頭手術は手術は行わなかったものの、脳内に出血が見られたそうです。

そうなるとライセンス失効の要件に該当し、現役引退の方向となりました。

大石豊選手

  • 昭和60年(1985年)3月9日生まれ 32歳
  • 階級 スーパーウエルター級
  • 戦歴 19戦14勝(7KO)5敗
  • 第33代OPBF東洋太平洋スーパーウエルター級王者

※スーパーウエルター級 69.9kg以下

経歴

10代の頃は鑑別所や少年院に入った経験があった大石豊選手。

成人式も塀の中だったそうです。

23歳で始めたボクシングは遅咲きと呼ばれる部類です。

持ち前の負けん気と、腕っぷしの強さでメキメキ頭角を表していった大石豊選手。

デビュー戦は平成20年(2008年)12月13日。

そこから一足飛びに、そしてあっという間に階段を駆け上がっていたのでした。

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東洋太平洋タイトルマッチ

小さいころから親に心配をかけ続けて、少年院や鑑別所で過ごした大石豊選手。

ボクシングを始めたキッカケも、更なるケンカのレベルアップのためだったそうです。

すぐにボクシングの魅力に取りつかれた大石豊選手は、デビューからいつしか8年が経過。

ケンカに明け暮れていた大石豊選手は2女のパパに、そしていつも心配してくれた父進さんが闘病生活に。

そんな折の平成28年(2016年)11月23日、世紀の一戦が大阪住吉スポーツセンターで幕を開けました。

大石豊選手に立ちはだかったのは、前東洋太平洋スーパーウエルター級チャンピオン、細川貴之選手(31)でした。

試合は10回の偶然のバッティングにより、細川選手の右まぶたをカット。

11回に出血がひどくなったため、勝負はこの時点での判定に。

4回の時の公開採点は…

  • 39-37
  • 38-38
  • 37-39

どっちが勝ってもおかしくない3者三様の採点でした。

運命の判定は僅差で大石豊選手がチャンピオンに。

この時「やりづらかったけど、自分の右(のパンチ)を信じた。お父さんにベルトを巻くことができた」

と、父進さんが見守る中で号泣したそうです。

「やっと恩返しできる」と。

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まとめ

大石豊選手は…

12回途中までリードし、世界への扉が開きかけていました。きっと輝かしい未来が見えていたことでしょう。

東洋太平洋ランキング11位で挑戦したタイトルを奪取し、世界が見えたかに思えた束の間の出来事となってしまいました。

脳内に出血が見られたことからライセンス失効となり現役引退というあまりに残酷な結果になってしまいました。

安全面を考慮するなら、選手のためを思うなら致し方ないことだとは思うのですが…

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