村田諒太のファイトマネーがスゴイ!年収や父親との絆についても

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10月22日TKO勝ちによりついに念願の世界チャンピオンとなった村田諒太選手。

実はこの試合、意外なところで注目されていたんです。

こんにちはノリスケです。

ロンドンオリンピックミドル級の金メダリストであり、プロでもエンダム戦での疑惑の判定がなければ、14戦全勝9KOでした…が、唯一の判定負けのため

13勝1敗。

5月のエンダム戦に勝っていたらミドル級の世界最短記録だったんだとか。

 

今回は村田諒太選手のファイトマネーや年収、父親との絆についても調べてみました。

 

 

目次

村田諒太選手

  • 村田諒太(むらた りょうた)
  • 昭和61年(1986年)1月12日生まれ 31歳
  • 奈良県奈良市出身
  • 帝拳ボクシングジム所属
  • 身長  183㎝
  • リーチ 187.5㎝

高校から大学の経歴

奈良市立伏見中学校時代にボクシングを始めました。

奈良工業高校で練習をするも、練習がつらくて2週間で辞めてしまったとか。

しかし、3年生の頃から進光ボクシングジムに通ってトレーニングを積んでいました。

南京都高等学校に入ってから徐々に頭角を現し、

2年生の時には選抜・総体・国体で3冠を達成します。

3年生の時には選抜と総体を制して5冠を達成します。

卒業後は東洋大学へ進学します。

平成16年(2004年)には全日本選手権初優勝を飾ります。

平成17年(2005年)にはキングスカップに出場し銀メダルに。

その後もアジア大会に出場などするも北京オリンピックの出場権を

逃し、一時は引退をも考えた村田諒太選手。

大学卒業後には東洋大学に就職し大学職員兼ボクシング部のコーチに。

大学卒業時には選手としては一線を引いていた村田諒太選手。

意外です。

そんな過去もあったんですね。

その後部員の不祥事をきっかけに現役復帰を果たします。

その時、平成21年~23年(2009~2011年)で全日本選手権3連覇を果たします。

 

 

オリンピックからプロへ

平成23年(2011年)世界選手権で銀メダルを獲得するのですが、、この時の戦いぶりが、英国のボクシング専門誌「ボクシングマンスリー」で高評価を得ました。

その後のロンドンオリンピックでの活躍は周知のとおり。

金メダルを獲得します。

オリンピックにおける日本人選手の金メダルは、昭和39年(1964年)の東京オリンピック以来というからなんと48年ぶりの快挙だったんですよね。

オリンピックでメダル獲得後も引退を考えていた村田諒太選手。

帰国後国体予選に出場し出場が決定すると、東洋大学の職員として業務に専念する傍ら、日本オリンピック委員会のスポーツ指導者海外研修員や2020年東京オリンピックの招致活動などの方向性を探っていたようです。

しかし…

AIBA(国際ボクシング競技会)が設立するプロ団体への勧誘や

東洋大学監督への道、

その中でプロへの道を探ってもいた村田諒太選手。

可能性を探りつつ、間口を広げていたんでしょうね。

その後プロテストを合格し平成25年(2013年)にプロデビューを飾ります。

戦績は

アマチュア 138戦119勝(89KO・RSC)19敗

プロ14戦13勝(10KO)1敗

 

です。

様々な紆余曲折を経てきた村田諒太選手。

もしかしたら、東洋大学のボクシング部の監督や日本オリンピック委員会での広告塔とかだった可能性もあった訳ですよね。

そもそも、大学卒業後の不祥事もなければ、オリンピックすら行ってなかった可能性もあった訳で。

ホント数奇な人生ですね。

 

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世界ミドル級王座挑戦へ

ここまでプロ12勝で、ミドル級では世界でも最短でのチャンピオンか?

と今年5月WBA世界ミドル級1位、暫定王者出ハッサンヌダムと王座決定戦に臨みます。

しかし…

プロ初黒星となる12回1-2(117-110、111-116、112-115)の判定負けを喫し王座獲得に失敗しました。

この時の判定に日本中がいや、世界中で「おかしい」

となったのですが…

試合の翌日の2人のインスタです…

 

ホントに試合後?
って感じですね。

 

世界チャンピオンに

因縁の対決となった10月22日の世界タイトルマッチ!

そしてついに世界チャンピオンになった村田諒太選手。
おめでとうございます!

 

気になるファイトマネーは?

村田諒太選手はオリンピックで金メダルを取得後のデビューですので、

最初から破格のファイトマネーでした。

その額1000万円とも。

実は、プロボクサーでもファイトマネーはテレビ中継があるなしでもかなり違うんですね。

ちなみに日本チャンピオンだとファイトマネーが1試合当たり100万円前後だそうです。

それが、世界チャンピオンになると1試合1000万円とも言われていますね。

やはり村田諒太選手の場合は、ロンドンオリンピックの金メダリスト、ミドル級というのもポイントが高いですよね。

ちなみに亀田興毅対内藤大助の試合は2億円と言われています。視聴率がこの時凄くて、43%もあったようですね。

話題性というのも、ファイトマネーは高額になっていくようです。

 

年収も気になる

村田諒太選手の年収は1試合当たり1000万円と考えると

デビューした平成25年(2013年)が2試合、

平成26年(2014年)4試合

平成27年(2015年)2試合

平成28年(2016年)4試合

そして平成29年(2017年)2試合(世界タイトルマッチ)

更にスポンサー契約もあるので、数千万円はくだらないと思われますよね。

そして平成29年(2017年)は世界タイトルマッチ、2試合

ちなみに世界戦のファイトマネーは最低5000万円とも言われています。

話題性のある今回の世界戦、とくれば1試合でも

億単位は間違いないでしょうね。

サラリーマンの生涯賃金は1年で超えているのは間違いないでしょうね。

 

父親との絆について

詳しくは下記の関連記事を参照していただくとして…

【関連記事】

村田諒太の父親の仕事は何?父子家庭で3人を育てた絆についても

デビュー戦の時のお父さんとのやり取りは第3者でもホント、目頭が熱くなるようなやり取りであったと思います。

お父さんの誠二さんと電話で話しながら村田諒太選手が泣いてしまうほどですからね。

 

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まとめ

村田諒太選手のファイトマネーや年収は、平成29年(2017年)は間違いなく数億円の世界となりそうですね。

来年は、いよいよ?統一戦や、ラスベガスでの試合?

期待は膨らむ一方ですよね。

ミドル級は世界の強豪がひしめく階級。

来年のタイトルマッチが楽しみになってきましたね。

今後の村田諒太選手の活躍に注目ですね!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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