直虎の瀬戸方久(せとほうきゅう)は誰?人物像や直虎との関係も

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こんにちはノリスケです。私自身あまり大河ドラマを見ていなかったのですが、

女城主直虎で瀬戸方久という方が気になりました。

なんといっても今話題のムロツヨシさんが演じるということで、ひと癖もふた癖も

ある人物に間違いないと思い、調べるとまさにその通りでした。

実在の人物で今回の女城主直虎にも第2話であばら家の男として出ていました。

その後豪商として直虎を支えることになるのですが、

どう絡んでいくのかを歴史上の史実と共に紹介していこうと思います。

 

 

目次

ムロツヨシ(瀬戸方久)

 


この時は立派になった瀬戸方久ですが、

商才があった人物なんですね。

あばら家の男が豪商となっていいたのですから。

成り上がってますね。

瀬戸方久とは?

元々は南北朝時代に活躍した武将の新田義貞の一族なんだそうです。

ドラマでのいきさつは、

  • 湖畔で魚を譲ってもらい、干物として売る。
  • 稼いだ銭で茶屋を経営、戦の情報を得るようになる。
  • 戦を利用した商売を実行
  • 銭の犬となる

ということでこの動画に行きつくわけですね。

 


これはインパクトありますね!

この後、井伊直虎が渋川村の腹満寺に梵鐘を建立したのですが、瀬戸方久は

鋳造の資金を担って四郎衛門の名で願主として名を連ねています。

徳政令の発布

今川氏真が井伊谷や瀬戸といった地域に徳政令(借金をチャラにする政令)を

出すのですが、井伊直虎はそれに抵抗して、2年もの間徳政令を実施しなかった

という史実があります。

その際に今川氏真に取り入り、刑部城、堀川城といった軍資調達を

請け負う代わりに、瀬戸方久の田畑や屋敷を徳政令の対象外とする

「安堵状」というものを得ました。

その後、堀川城主となるのですが性も、新田氏に複姓しました。

中々したたかな人物だったんですね。

 

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ムロツヨシ

本名がムロツヨシさんだと思ったら非公開なんですね。

  • 昭和51年(1976年)1月23日生まれ 41歳
  • 神奈川県出身
  • A型
  • 横浜市立六角橋中学校卒
  • 神奈川県立鶴見高等学校卒
  • 東京理科大学中退

手塚治虫の「陽だまりの樹」の段田安則さんの芝居を見て

役者を志したムロツヨシさん。

現在41歳のムロツヨシさんが大学受験をした

頃は、志望校に現役で入れるのが3割から4割

と言われた時代。

案の定、ムロツヨシさんも一浪して

大学に入るも、3週間で退学しました。

東京理科大学はかなり偏差値が高い大学で

かなり苦労したと思うのですが…

役者を目指すキッカケになった段田安則さんの

演技は人生を変えるほどの衝撃だったんでしょうね。

中退後俳優養成所に入所するも、中々うまくいかず

にいました。

そんな中で転機が訪れたのは「踊る大捜査線」

出演までに監督の本広克行さんに売り込んだのが

キッカケだそうです。

とにかくムロツヨシを連呼しまくったとか。

そこからのムロツヨシさんは周知の通りですね。

 

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まとめ

瀬戸方久とムロツヨシさんの生き方というか、

生き様がなんとなくかぶるような気がするのは…

私だけなんでしょうか?

今後の展開も気になりますが、

ムロツヨシさんにも注目ですね!

【関連記事】

「直虎の高瀬姫役は誰?人物像と史実や伝承から読み解いてみた!」

 

 

 

 

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